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横浜地方裁判所 平成8年(ワ)1371号 判決

甲事件原告

甲野太郎

乙事件原告

甲野一郎

右両名訴訟代理人弁護士

後藤徳司

日浅伸廣

中込一洋

榊原一久

本島信

甲・乙両事件被告

地の塩港南キリスト教会

右代表者代表役員

真部明

甲・乙両事件被告

真部明

右両名訴訟代理人弁護士

永見和久

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第一  請求

一  甲事件について

(一)  被告らは、原告甲野太郎(以下「原告太郎」という。)に対し、各自、金一〇〇〇万円及びこれに対する平成八年五月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

(二)  被告らは、原告太郎に対し、甲野春子(以下「春子」という。)及び甲野夏子(以下「夏子」という。)との面接交通を妨げてはならない。

(三)  被告らは、原告太郎に対し、春子及び夏子に対する親権の行使を妨げてはならない。

(四)  被告らは、原告太郎に対し、甲野花子(以下「花子」という。)との面接交通及び同居を妨げてはならない。

二  乙事件について

(一)  被告らは、原告甲野一郎(以下「原告一郎」という。)に対し、各自、金三〇〇万円及びこれに対する平成九年九月六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

(二)  被告らは、原告一郎に対し、花子、春子及び夏子との面接交通を妨げてはならない。

第二  事案の概要

本件は、原告太郎の妻である花子が、キリスト教の一宗派である被告地の塩港南キリスト教会(以下「被告教会」という。)の伝道師となるため、夫と当時は未成年である長男、二男及び三男を家に残したまま、同じく未成年の長女及び二女と共に家を出て別居し、自らはアパートを借りて教会活動に専念し、長女及び二女を被告教会に寝起きさせるようになったことから、原告太郎及び長男の原告一郎において、被告教会及びその代表者である被告真部明(以下「被告真部」という。)に対し、被告らが、いわゆるマインドコントロールにより花子の自律的判断を失わせ、その家出に積極的に関与し、原告太郎に離婚を強要し、花子らとの面会を妨げ、家庭を破壊した(以下、これらを「家庭破壊行為等」ともいう。)ほか、原告太郎のざんげの内容を花子に漏えいした(以下「ざんげの内容の漏えい」という。)などと主張して、これらによる損害賠償並びに花子らとの面接交通、親権の行使及び同居に対する妨害の禁止を求めている事案である。

一  基礎となる事実(証拠を掲げた箇所以外は当事者間に争いがない。)

1  原告太郎と花子は、昭和五一年三月七日に婚姻した夫婦であり、両名の間には、長男原告一郎(昭和五一年一二月四日生)、二男甲野二郎(昭和五三年一〇月一九日生、以下「二郎」という。)、三男甲野三郎(昭和五六年一月三一日生、以下「三郎」という。)、長女春子(昭和五七年一〇月二四日生)及び二女夏子(昭和六二年一二月三一日生)の五人の子がいる。

2  被告教会は、旧約・新約聖書を教典とし、イエス・キリストを神と信じ、キリスト教プロテスタントの教義を広め、儀式行事を行い、会員を教化育成して布教活動を行うことを目的として、昭和五七年二月一九日に設立された宗教法人である。被告真部は、牧師であり、被告教会の代表者である。

3  花子は昭和五九年一二月、原告太郎は昭和六〇年一二月、それぞれ洗礼を受けて被告教会の正会員となり、原告一郎も幼稚園のころから被告教会に通っていたが、原告一郎は平成三年九月以降被告教会に通うことを止めた。

4  原告太郎、花子夫婦と原告一郎を含む子供五人は、原告太郎の肩書住所地の自宅で生活を共にしていたが、平成七年一月二〇日、花子が、被告教会の伝道師となるため、原告太郎と当時はいずれも未成年である原告一郎、二郎及び三郎を家に残したまま、同じく未成年の春子及び夏子と共に家を出て、被告教会の肩書住所地付近のアパートを借りて別居し、教会活動に専念しており、春子及び夏子は、被告教会で寝起きして現在に至っている。

5  原告太郎は、平成七年三月二一日、被告真部から、被告教会における信徒に対する懲戒処分の一つである集会出席停止処分を受けた(甲四三、原告太郎本人、被告教会代表者兼被告真部本人)。

6  原告太郎は、平成七年一〇月、花子を相手方とする夫婦関係調整の家事調停を申し立てたが、同年一二月、不調に終わり、平成八年四月二四日、甲事件の訴えを提起し、原告一郎は、平成九年八月二三日、乙事件の訴えを提起した。

二  原告らの主張

1  原告太郎に対する違法な家庭破壊行為等

(一) 被告真部は、自ら執筆して被告教会が発行する月刊小冊子「聖書の探求」紙上において、神の名の下に、自己の独自的見解に基づき、直接又は間接に悪魔的なささやきにも似た称賛を花子に対して行い、花子が牧師を志すように仕向けた上、神の召命を受けたとの花子の申出に対し、伝道師となるようそそのかし、祈祷会などことあるごとに、伝道師になることを勧め、花子を自己の後継者として伝道師にさせようとした。被告真部は、被告教会の教義及び条例に特に記載されているわけではないのに、被告教会において伝道師となるためには、二四時間通して教会で訓練を受け修行をする必要があると花子を指導した。

(二) 被告真部の右一連の行為により、いわゆるマインドコントロールを受けて自律的判断を失った花子は、平成七年一月一一日、原告太郎に対し、突然、家を出て伝道師になると言い出し、同年一月一三日には、伝道師になるために家を出たい、伝道師は二四時間フルタイムで身も心も神に捧げなくてはならず妻の務めを果たせなくなるので離婚してほしい旨申し出たが、原告太郎は、これを拒否した。しかし、花子は、同年一月二〇日、当時一二歳の春子と七歳の夏子を連れて家を出て、被告教会の費用で、被告教会の肩書住所地付近のアパートを借りて別居し、右アパートの賃借の際にも、花子及び被告真部は原告太郎に何ら相談しておらず、被告真部が花子の連帯保証人となった。

(三) 原告太郎は、昭和六〇年七月ころ、洗礼を受ける準備として、被告真部に対し、かつて不貞行為をしたことがあることを告白しざんげしていたが、被告真部は、花子を伝道師とするために、これを利用しようと企て、平成七年一月ころ、右ざんげの内容を花子に漏えいし、花子から原告太郎にその話をさせた。さらに、被告真部は、牧師であり被告教会の代表者でもある立場を利用して、原告太郎に宛てた同年一月二〇日付け手紙の中で、花子が離婚原因としていなかった原告太郎の不貞行為を勝手に強調し、姦淫など一定の場合には離婚を認めている被告教会の教義及び条例を曲解して引用し、同年二月二〇日付け手紙では、離婚意思の全くない原告太郎に対し、本来夫婦間で自由に決めるべきはずの離婚を執ように迫り、証人欄に被告真部夫婦が署名押印している離婚届に署名押印して返送するよう強要した。

(四) 被告真部は、離婚を拒む原告太郎に対し、平成七年二月九日に行われた祈祷会の後、指導に従わないと懲戒処分としての除名の対象になる旨を伝え、同年三月九日、指導に従わないので集会出席停止処分又は除名処分を検討中であるとのメモを交付した後、同年三月二一日、集会出席停止処分にし、以後、原告太郎の被告教会への出入りを禁じた。また、被告真部は、花子、春子及び夏子に対する影響力を悪用して、原告らが花子らと会うことを禁じ、原告ら一家を完全に二分してしまった。花子は、現在も原告太郎のところに戻ることもなく、前記アパートに居住して、毎日被告教会に通い、被告教会に朝から夜まで詰めて牧師の修行に専念し、日常生活のすべての行動を抑圧され、被告真部の意見に従って行動するように完全にコントロールされ、生活費も、子供の学費を含め、すべて被告教会に負担してもらっている。

(五) 被告真部は、親権者である原告太郎の許諾も得ないまま、未成年者である春子及び夏子を被告教会で寝起きさせ、一方的に被告教会の献身者として扱い、被告教会のために全生活を犠牲にして献身的生活を送ることを強いている。そのため、春子及び夏子は、被告教会の活動と抵触する学校行事がある場合にも、すべて被告教会の活動を優先させ、被告教会以外の世界をほとんど見ることもなく、現在に至っている。また、春子及び夏子は、被告真部の許可がなければ、原告らと絶対に会ってはならないと厳命されているため、被告真部に怒られるからと言って、原告らとの接触を避けようとしている。このように、被告真部は、是非弁別の十分でない春子及び夏子に対し、心の内面に働きかけて、原告らと会わないように仕向け、日常生活のすべての行動を抑圧し、自己の意見に従って行動するように完全にコントロールしている。

(六) 原告太郎は、昭和六〇年一二月に洗礼を受けて被告教会の正会員となった際、被告教会との間において入信契約を締結し、被告教会は、右契約において、信者に対し、宗教上の教えを行って心に平穏を得させるという中核的義務のほか、その心の平穏を保つために必要不可欠な家庭の平和、安定を害してはならないとの付随的義務を負担した。また、被告らは、未成年の春子及び夏子に対する原告太郎の親権の行使を第三者として侵害してはならない義務があるから、その支配及び介入下において花子、春子及び夏子を別居させる場合には、原告太郎の意向を確認するなどして、原告太郎の右権利に対する侵害が生じないように配慮し、右のような結果を回避すべき義務も負担した。

(七) ところが、被告真部は、牧師かつ被告教会の代表者としての職務を行うにつき、前記のとおり、原告らの意思を全く顧みず、信教の自由の範囲内の行為を逸脱して、いわゆるマインドコントロールにより花子の自律的判断を失わせ、その家出に積極的に関与し、原告太郎に離婚を強要し、原告太郎と花子らとの面接交通を妨げ、家庭を破壊するなど、違法な家庭破壊行為等をして、原告太郎の婚姻関係に基づく権利を侵害した。さらに、花子が春子及び夏子を連れて家を出たことは、それ自体が原告太郎に対する不法行為に当たるところ、これに前記のような態様により関与した被告真部の行為は、花子との共同不法行為に当たる。

(八) したがって、被告らは、主位的に、被告教会については、入信契約上の債務不履行ないし宗教法人法一一条一項又は民法四四条による代表者の不法行為に基づき、被告真部については、自己の不法行為に基づき、予備的に、花子との共同不法行為に基づき、原告太郎に対する家庭破壊行為等について損害賠償責任を負う。

2  原告太郎のざんげの内容の漏えい

(一) キリスト教の信仰の在り方は、元来、たとえ姦淫などの赦し難い行為であっても、本人が悔い改めるなら、これを赦して関係を回復すべきであるというものであり、このような悔い改めが、ざんげ制度として、入信契約の内容になっているから、被告教会は、信者との入信契約において、信者に対し、前記中核的義務のほか、教会の活動によって知り得た秘密を第三者に漏えいしてはならないとの付随的義務も負担した。

(二) 被告真部は、原告太郎から告白された不貞行為に関するざんげの内容を花子に漏らした場合には、原告太郎の名誉を損ない、名誉感情を傷付けるなど、原告太郎が苦痛を感じるばかりでなく、花子が原告太郎に対し不信を持ち、夫婦関係が破綻に至り、ひいては原告らの一家の平和な生活が破壊されることも予見できたのに、この義務に違反し、牧師かつ被告教会の代表者としての職務を行うにつき、前記のとおり、原告太郎のざんげの内容を花子に漏えいし、原告太郎と花子の婚姻関係を破綻させ、ひいては原告らの一家の平和な生活を破壊した。

(三) したがって、被告教会は、入信契約上の債務不履行ないし宗教法人法一一条一項又は民法四四条による代表者の不法行為に基づき、被告真部は、自己の不法行為に基づき、原告太郎のざんげの内容の漏えいについて損害賠償責任を負うところ、これによる損害賠償の額は、前記1の違法な家庭破壊行為等による損害賠償の額と併せ、合計一〇〇〇万円が相当である。

3  原告一郎に対する違法な家庭破壊行為等

(一) 現代社会においては、親子をその中核とする家庭が重要な構成要素となっており、法は、未成年の子の親に対する扶養、監護教育等の請求権を保障しているが、家族が共に生活し、家族としての一体感を実感しつつ、幸福な家族生活を送ることは、個人の人格の確保にとって必要不可欠である。殊に、未成年者にあっては、家族が平和のうちに団らんしながら共に生活することが、その人格的な成長にとって重要な意義を有するから、親子という縦の関係のみならず、これに付随する兄弟等の横の関係も含めた家庭の平和、安定も人格権の一種として法により保護されるべきである。また、幸福な家庭生活のためには、家族の団らん、接触が確保されなければならず、家族の構成員相互の自由な面接交通が確保されることが必要不可欠であり、家族の平和、安定を確保する権利として、家族の構成員相互の面接交通も法的権利として保障されなければならない。さらに、原告一郎は、本訴係属中の平成八年一二月四日に成年に達したが、それまでの間は、花子に対し、親権の内容として扶養、監護教育等の請求権を有していた。

(二) ところが、平成七年一月当時、原告一郎が大学受験を間近に控え、ただでさえ精神的負担のかかる時期であったのに、前記のとおり、被告真部は、花子が、原告太郎、二郎及び三郎のほか、原告一郎を家に残したまま、家を出て別居し、原告一郎に対する身上の監護を不当になおざりにすることに積極的に関与し、原告一郎と花子、春子及び夏子との面接交通を妨げ、家庭を破壊するなど、違法な家庭破壊行為等をして、原告一郎の花子に対する親子関係に基づく扶養、監護教育等の請求権及び幸福な家庭生活を送る人格的権利を侵害した。さらに、花子が春子及び夏子を連れて家を出たことは、それ自体が原告一郎に対する不法行為に当たるところ、これに前記のような態様により関与した被告真部の行為は、花子との共同不法行為に当たる。

(三) したがって、被告らは、主位的に、被告教会については、宗教法人法一一条一項又は民法四四条による代表者の不法行為に基づき、被告真部については、自己の不法行為に基づき、予備的に、花子との共同不法行為に基づき、原告一郎に対する違法な家庭破壊行為等について損害賠償責任を免れないところ、これによる損害賠償の額は三〇〇万円が相当である。

4  面接交通、親権の行使及び同居に対する妨害

前記のとおり、被告真部は、自己の牧師としての花子、春子及び夏子への影響力を悪用して、原告らを花子らと会わせないようにし、面接交通を妨害し、また、原告太郎の花子との同居並びに春子及び夏子に対する親権の行使を妨げている。

5  よって、原告太郎は、被告らに対し、(一) 被告教会については、入信契約上の債務不履行ないし宗教法人法一一条一項又は民法四四条による代表者の不法行為に基づき、被告真部については、自己の不法行為に基づき(原告太郎に対する違法な家庭破壊行為等については、予備的に、花子との共同不法行為に基づき)、各自、一〇〇〇万円及びこれに対する平成八年五月一一日(訴状送達の日)から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払、(二) 親権に基づき、春子及び夏子との面接交通並びに親権の行使に対する妨害の禁止、(三) 婚姻関係に基づき、花子との面接交通及び同居に対する妨害の禁止を求める。

また、原告一郎は、被告らに対し、(一) 主位的に、被告教会については、宗教法人法一一条一項又は民法四四条による代表者の不法行為に基づき、被告真部については、自己の不法行為に基づき、予備的に、花子との共同不法行為に基づき、各自、三〇〇万円及びこれに対する平成九年九月六日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払、(二) 扶養、監護教育等の請求権及び人格的権利に基づき、花子、春子及び夏子との面接交通に対する妨害の禁止を求める。

三  被告らの主張

1  原告太郎に対する違法な家庭破壊行為等について

(一) 被告らが、原告太郎主張のように、花子の家出に積極的に関与し、原告太郎に離婚を強要し、花子らとの面接交通を妨げ、家庭を破壊するなど同人に対して違法な家庭破壊行為等をしたことはない。被告教会は、正統なキリスト教会であり、その正統な教義を実践、布教しているものであって、被告真部の独自的見解に基づいて運営しているものではないし、被告真部が、花子に対し伝道師となるようそそのかしたり、花子を自己の後継者として伝道師にしようと企てたことはない。原告太郎が引用する「聖書の探求」は、被告教会の信徒のみならず、全国で一五〇名くらいの読者がおり、花子だけを読者と予定して記述されたものではない。

(二) 被告真部は、平成六年三月一〇日、花子から、聖書の言葉(詩篇一二六篇五、六節、エステル記四章一四節)を通して、神の召命を受け、牧師になる決意を固めたとの報告を受けたが、当初、現状のままでも教会活動は可能であることを話し、また、信仰は変わるかもしれないし、伝道者は二四時間勤務のようなもので家庭に問題や困難が生ずるかもしれないから、思いとどまるよう忠告した。しかし、花子の信仰は変わらず、過去一八年間にわたる原告太郎の言動から夫婦としてやって行けない旨を説明し、原告らその他の家族とも十分に話し合った上、その承諾を得て家を出たものである。春子も夏子も、自己の意思で家を出たものであり、花子に連れ出されたわけではない。アパートの賃料と春子及び夏子の学費は、花子が伝道師としての自己の給与の中から支払っており、被告教会が支払っているものではないし、花子と春子及び夏子の生活費についても、被告教会が花子に貸しているものにすぎず、将来、これらの者が被告教会以外に就職した場合には、被告教会に返還する約束になっている。

(三) 被告真部が、原告太郎主張のように、そのざんげの内容を花子に漏えいしたことはない。原告太郎は、昭和六〇年七月ころ、被告真部に対し、悔い改めの祈りが終わり帰りかけたときに、立ち止まり、数十秒の間に、立ち話として、かつて妻に不信実なことをしたと漏らした。しかし、花子は、夫のこの不貞行為の事実をかねてより知っており、一人胸に秘めていたが、その後、夫の信仰が口先ばかりで、態度、行動に現れておらず、表面的なものにすぎないことが次第に判明し、その性格も、自己中心的で、思いやりに欠け、虚栄心が強く、自分より弱い者を支配するなど特異であったところから、平成四年六月には既に離婚を考えていた。原告太郎が主張する平成七年一月二〇日付けの手紙は、花子から離婚に関する被告教会の教義及び条例の説明をしてほしいとの依頼を受けて作成したものにすぎず、原告太郎を強く非難したものではない。また、同年二月二〇日付け手紙は、花子の強い意思を同人の依頼により作成したものであり、花子自身がこれを読み、その了承の上で本人が投函したものであって、被告真部が原告太郎に対し離婚を執ように迫ったものではない。被告真部夫婦が離婚届の証人欄に署名押印したのは、花子から切羽詰まった表情で頼み込まれたからであり、原告太郎が主張するように、花子を伝道師とするために離婚を強制しようとする被告真部の意思に基づくものではない。

(四) 被告真部は、原告太郎が、花子に対し被告真部の悪口ばかり話し、牧師には従わない、それを本人に言っても構わないと断言したとの報告を花子から受け、被告教会の規律を維持するため、集会出席停止処分をしたが、原告太郎は、現在も第二種会員としてとどまっている。原告太郎は、その後、平成七年六月ころ、夜中に花子のアパートの前で待ち伏せをし、被告教会、被告真部及び花子を非難し続け、平成八年四月二〇日には、被告教会に押し掛け、花子、春子及び夏子に面会を求めたが、花子らがこれを拒否すると、ここは教会ではない、被告真部は牧師とは思っていないなどと怒鳴り散らした。原告太郎が花子らと面接交通ができなくなったのは、このように自らがまいた種にほかならず、花子らが原告らに会おうとしないのは、全く本人の意思によるものであり、被告真部の影響力や妨害行為によるものではない。花子が教会活動を被告真部の指導の下に行うのは当然であるが、それ以外は全く自由に生活しており、原告ら主張のような行動の抑圧等はない。原告らの共同不法行為の予備的主張は、花子の責任能力を前提とするものであり、花子が被告真部のマインドコントロールを受けて自律的判断を喪失したとする従前の主張とは矛盾する。

(五) 被告真部が、原告ら主張のように、未成年者である春子及び夏子を一方的に被告教会の献身者として扱い、すべて被告教会の活動を優先させ、被告教会以外の世界をほとんど見せず、原告らと会わないように仕向け、日常生活のすべての行動を抑圧しているような事実は一切存在しない。被告教会は、教会活動と抵触する学校行事がある場合には、その選択は本人の自由な選択に委ねており、春子及び夏子も、正常に通学しており、自由に友達と外で遊び、ごく普通の生活を送っている。学校の帰りに待ち伏せをしたり、被告教会に強引に押し掛け怒鳴り散らす父親の姿を見れば、子供心にも通常ではない状況を把握することができ、父親を避けるようになるのは当然の成り行きであり、春子及び夏子が原告らに接触しようとしないのは、すべて自らの意思による。原告らが主張するように、人間の心を完全にコントロールすることなどできるはずがなく、平和に暮らしている子供たちに対し、その意思をも無視して会いに行くことは、親の愛情に基づくというよりは、単なる嫌がらせにほかならない。原告太郎と花子の婚姻関係を破綻させ、原告ら一家の平和な生活を破壊したのは、原告太郎自身にほかならず、約一〇年間にわたり、一家の生活の相談に乗り、何かと助言をしてきた被告真部に対し、原告太郎はすべてを水泡に帰する態度をとってきたものである。

2  原告太郎のざんげの内容の漏えいについて

被告真部が原告太郎のざんげの内容を春子に漏えいした事実のないことは、前記のとおりである。

3  原告一郎に対する違法な家庭破壊行為等について

被告らが原告一郎主張のような違法な家庭破壊行為等をしておらず、原告一郎の一家を破壊したのが原告太郎であることは、前記のとおりである。

4  面接交通、親権の行使及び同居に対する妨害について

花子、春子及び夏子が原告らに会おうとしないのは、前記のとおり、すべてこれらの者の意思によるものであり、被告らが妨害している事実はない。

四  本件の争点

1  被告らによる違法な家庭破壊行為等の存否

2  被告真部による原告太郎のざんげの内容の漏えいの存否

3  面接交通、親権の行使及び同居に対する被告らの妨害の存否

第三  証拠

本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりである。

第四  争点に対する判断

一  争点1(被告らによる違法な家庭破壊行為等の存否)について

1  前記基礎となる事実と証拠(甲一の1、2、二の1、2、三、四の1、2、五の1、2、六、七の1ないし3、八、九の1、2、一〇の1、2、一一の1、2、一二ないし三一、三二の1、2、三三ないし四五、四八、乙一ないし三、四の1ないし3、五、六、七の1、2、八、九、一〇の1ないし7、一一の1ないし6、一二の1ないし30、一三の1、2、一四の1ないし4、一五、一六の1ないし4、一七の1、2、一八の1ないし3、一九、二〇の1、2、二一ないし三一、三四の2、三五、三六、四四、五四ないし五六、五八、六二、六三の1ないし3、六五、六六の1、2、七〇の1ないし6、八八の2、九〇、証人甲野花子、原告甲野太郎本人、原告甲野一郎本人、被告教会代表者兼被告本人真部明)及び弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実が認められる。

(一) 被告真部は、昭和四九年四月に牧師になり、昭和五三年四月、地の塩港南キリスト教会を創設し、昭和五七年二月一九日に宗教法人としての被告教会を設立した。被告教会は、旧約・新約聖書を教典とし、イエス・キリストを神と信じ、キリスト教プロテスタントの教義を広め、儀式行事を行い、会員を教化育成して布教活動を行うことを目的とし、宗教法人地の塩港南キリスト教会教義及び条例を定めている。被告教会の内部的な事項は、責任役員会及び教会総会において決定することとされ、被告真部夫婦と橋場孝が責任役員になり、主任牧師の職にある被告真部が代表役員に就任しているが、橋場孝は、その後、千葉県内に転居し、また、教会総会においては、他の出席者が格別の発言をすることもなく被告真部が一方的に話すことがほとんどであり、被告教会は被告真部の強いリーダーシップの下に運営されている。

平成六年当時、被告真部が主宰して行う被告教会の集会の出席者は約一八名であり、そのうち受洗し正式に教会に入会して教会活動を行っている第一種正会員は一五名(男子六名、女子九名)、求道者は九名程度であり、一か月一九七万円余の財政収支があった。日常的な活動として、日曜日に行う教会学校(子供対象)、礼拝、ゴスペルアワーのほか、地の塩クリスチャン・インスティテュート、婦人会、祈祷会、聖別会、ナースリースクール(幼児対象)、こひつじ園(二歳半以上の幼児対象)、ヤングゴスペルクラブ(中高生対象)、男性会等を行い、定期刊行物として、被告真部が執筆する月刊小冊子「聖書の探求」を発行しているが、被告教会の会員にとっては、その集会に出席して被告真部の言葉を聞くことが信仰生活の重要な一部であった。

(二) 原告太郎と花子は、大学生時代に同じサークルに入っていたことから知り合い、五、六年の交際期間を経て昭和五一年三月七日に婚姻したが、二男二郎が出生した昭和五三年一〇月前後ころから、花子は、夫の実家との関係や原告太郎の怒りぽくわがままな性格等などから、思い悩んで酒に逃避するようになり、昭和五五年春ころから被告教会に通い始めた。昭和五七、五八年ころ、原告太郎が花子に隠れて不貞行為をしたことがあり、花子も、夫と肉体交渉を持つ際、原告太郎から花子がやはり一番良いなどと言われ、体位が急に変化したことなどから、夫の不貞行為に気が付いたが、そのまま自分の胸に秘め、昭和五九年一二月、被告教会で洗礼を受けた。被告教会に通う妻の様子を見て、そのころから被告教会に通うようになった原告太郎は、自己の不貞行為が良心のかしゃくとなっていたところ、昭和六〇年夏ころ、このことを神に告白するだけではなく、牧師としての信頼を置くようになっていた被告真部に話していわば証人になってほしいとの思いから、同人に対し、妻に対して不信実な罪を犯したが、洗礼を受ける前に妻に告白する必要があるかと相談したところ、その必要はないとの説明を受け、同年一二月、自らも被告教会で洗礼を受けた。

花子は、昭和六二年一二月に二女夏子を出生し、その後、子供たちを連れて幼児クラスに出席しているうち、幼児教育に使命を感じるようになり、保母の資格を取り、被告教会の幼児クラスの教師をするまでになった。幼稚園のころから被告教会に通い小中学校当時は夏休みのキャンプ等にも積極的に参加していた長男の原告一郎は、平成三年九月以降被告教会に通うことをやめ、平成四年四月には、同じく幼少のころから被告教会に通っていた二男二郎も通うことをやめた。花子は、平成四年春ころ、原告太郎も同席した被告教会の集会において、被告真部に対し、姦淫の場合は離婚してもいいのかとの質問をしたが、その数日後、原告太郎が花子に対し質問の趣旨を探るような言動を示したことなどから夫の不貞行為を確信し、また、平成五、六年ころ、生活が荒れて自分に食ってかかるなどしていた二男二郎の監護、教育方法について原告太郎に相談しても親身になってくれなかった。こうして、花子は、次第に、夫との婚姻生活の継続に疑問を抱き、信仰する神の方を大事にするという考え方に傾斜するようになり、被告教会には月曜日を除いて毎日通い、子供の入学式、父兄会、授業参観、進路指導の面談が月曜日以外の日となったときは、子供のために学校に行くということはなくなったが、原告太郎は、花子がこのように教会活動に傾倒していることについて、反対することもなく、同人を被告教会に自動車で送るなどしていた。

(三) 被告真部は、日々の教会活動の中で、花子に対し、教師、リーダーが必要であると常に述べており、平成六年中に発行された「聖書の探求」の中でも、「先ず、潔められて、よく訓練された牧師、伝道者、教師、リーダーが育つことが急務です。」「後継者の指導と聖書の探求に全力を尽くしたいと思っています。」、「聖書の探求を完成させる事業は日本のキリスト教会にとって重要な意味を持っていると思いますので、ぜひとも主の再臨が延びれば完成してほしいと私は切に願っています。そのためには少なくとも三代目までの後継者が必要になります。」と記述していた。また、被告真部は、夏子を日ごろからほかの会員とは別格に扱い、日曜日の礼拝後の食事においても、夏子だけは神様の御用をする者として原告らとは席を別にし、被告真部夫婦と一緒に食事をさせていた。また、右「聖書の探求」中でも、夏子に関し、「私の所には、『必ず先生を越えます。』と言ってくれる六才の少女がいます。私の期待はそこに向きつつあります。主が許されれば、その子が神の人として立つ日をこの目で見てから、この地上を飛び去りたいと思っています。」と記述し、夏子を称賛していた。

そのような中で、花子は、平成六年三月一〇日、聖書の言葉(詩篇一二六篇五、六節、エステル記四章一四節)を通して、伝道師となるよう神の召命を受けたと感じてこれに従う決意をし、その翌日、被告真部にその旨報告した。原告太郎は、同年一二月の被告教会の男性会において、自己の信仰が口先だけで行いを伴わず、神を第一にしていなかったことを反省し、心も生活も神を第一にするよう方向転換をしたいとの抱負を語り、平成七年一月一日の被告教会の集会では、自分も伝道師になる意思がある旨被告真部に述べた。

(四) 平成七年一月三日、原告太郎の父が亡くなり、原告太郎は、喪主として同年一月五日の通夜及び翌六日の告別式の手配を行い、右両日の被告教会の集会に欠席した。一方、花子は、被告教会の集会に出席したため、亡義父の通夜には遅れて出席し、告別式には欠席したが、原告太郎が被告教会の集会に出席することなく亡父の葬儀に忙殺されている姿を見て、夫は神の方を後回しにしており、夫婦としてやって行けないと感じ、また、通夜に遅れたことで原告太郎の母にとがめられたこともあって、被告教会において牧師となるため被告真部の指導を受けたいとの気持ちから、家を出て伝道師の道を歩むことを決め、被告真部に相談した。被告真部は、花子の右申出を了承し、花子と一緒に不動産屋に行き、その紹介で被告教会から約一〇〇メートル離れたところにある二部屋の簡素なアパートの下見をし、花子が、同年一月一二日付けの賃貸借契約書に同居者として夏子のみを記載して署名押印した。その際、被告真部は、不動産業者の求めに応じ、賃貸借契約書に連帯保証人として署名し、押印はしなかったが、その後、花子のために、同年一月一一日付けの連帯保証人承諾書に署名押印した。

花子は、同年一月一一日、原告太郎に対し、夫婦として一緒にやって行けない、神の召命を受けたので伝道師になる、そのために家を出て神の下に行きたい、既に被告真部にも話をして、被告教会の近くのアパートの下見も済んでいる、子供達も来たい者は連れて行くと告げた。その後、原告太郎と花子は、同年一月二〇日まで毎日のように話し合ったが、その話合いの中で、原告太郎は、被告教会の教義及び条例では姦淫以外の理由で離婚することは認められていないから離婚はできないと述べた。これに対し、花子は、被告真部が原告太郎と花子夫婦の離婚は、被告教会の教義及び条例の第三四条(離婚に関する規定)にあてはまるので、離婚は認められると言っていると説明したが、原告太郎のかつての不貞行為には言及しなかった。同年一月一五日、花子が、当時は大学受験を目前に控えた原告一郎をはじめ子供たち全員に対し、家を出て教会に行くが一緒に行く意思があるかどうか一人一人の意思を確認したところ、原告一郎、二郎及び三郎は原告太郎と共に自宅に残ると述べたが、春子及び夏子は花子について行く意思を明らかにしたため、花子は、同年一月二〇日、春子及び夏子と共に家を出て、前記のアパートで生活を始め、春子及び夏子は被告教会で寝起きするようになった。

(五) 家を出た当日、花子は、原告太郎に対し、同日付けの手紙を書き、これに自らの署名押印のある離婚届を同封して送付したが、この離婚届には、被告真部夫婦が証人として署名押印をしている。右手紙の中で、花子は、神の召命を受けたので牧師としての生涯を選んだ旨、原告太郎のこれまでの態度や不信実、義母の態度から、もうこれ以上、結婚生活を続けることはできず、そのままでは、牧師としての働きが全うできないと考えて離婚を決断し、慰謝料や財産分与の請求はしないので、協議離婚の届出用紙に署名押印して返送してほしい旨、これを拒否する場合には、これまでの実情を全部、被告真部と実家の両親と弁護士に話して法的手段に訴える旨、この手紙は被告真部の了解を得ている旨記述している。

右手紙が在中していた封筒には、被告真部の原告太郎に対する同年一月二三日付けの手紙も同封されていたが、被告真部は、右手紙の中で、花子から離婚の申出を受けたが、原告太郎は、被告教会の教義及び条例によって離婚が禁じられており、離婚をすると被告教会に在籍できなくなるので、離婚はできないとして反対していると花子から聞いた旨、しかし、離婚に関する教義及び条例第三四条は、昭和六二年六月五日、「本教会は姦淫以外の理由による離婚は、いかなるものといえどもこれを不正と認める。ただし、真の信仰生活が極度に妨げられたり、健全な生活がはなはだしく破壊されたり、夫婦のうちどちらかが、夫婦としての責任を果たさなかった場合、離婚が認められる場合がある。」と改定された旨、原告太郎の場合は、過去に他の女性と関係を持ったことを自分が聞いており、これは神によって赦されることのできる罪であっても、妻から離婚の申出があった場合には、その責任を取らねばならず、花子の申出により離婚を認める旨記述している。

原告太郎は、被告真部の右手紙を読んだ当初は、意外なことと受け止めたが、同年一月二八日、被告教会の男性会において、亡父の葬儀のため被告教会の前記集会に出席しなかったことは神を侮るものであったとして、反省するとともに、花子が神の召命により牧師となる訓練を受けるために自宅を離れ、新しい旅立ちをしたことを発表し、まさに神が与えた訓練の時が始まり、自らの信仰の確立、自立を目指して進んで行く旨の決意を表明し、春子及び夏子と一緒の時間を作ろうとして、土曜日に校門の外で待ち構え、学校からバス停までの一五分くらいを一緒に歩いて帰ったり、バスに乗って戸塚駅まで行ったりした。花子も、原告太郎の発言を聞き、夫も花子の召命を受け入れ、今後は自立した信仰を持って歩んで行くものと考えていた。

(六) 被告教会は、平成七年一月三〇日の責任役員会と同年二月五日の教会総会において、花子の伝道師としての任命を承認し、花子に対して生活費を支給することになった。その後、原告太郎が、離婚届に署名押印して返送を求める花子の前記手紙に返答しなかったため、花子は、原告太郎に対し、同年二月一日配達の手紙で離婚届の返送を促したが、この中で、花子は、原告太郎との結婚は、もうとっくの昔に壊れていたので、原告太郎が今後どのような信仰に立とうとも、やり直すことは決してない旨記述している。これに対し、原告太郎も、同年二月七日ころ花子に送付した手紙の中で、花子が自宅に戻ってきて、これまでと同じような生活をしてほしいなどとは言っていない、花子は召命を受けたのであるから、元の結婚生活ができるとは考えていない、自分では心構えがある程度できていたから夏子のことは心配していない、これは強がりでなく、早めに寄宿舎に入ったものと思うことができる旨記述している。原告太郎は、その後、被告真部に対し、同年二月一六日付けの手紙を送付したが、この中でも、花子は神の召命により牧師となるべく献身したのであるから、自分も今までと同じ生活をすることは全く考えていない、今後は教会の中でも、わきまえを持ち、秩序を守る旨記述している。

しかし、原告太郎が、離婚届の返送に応じなかったため、被告真部は、原告太郎に対し、同年二月二〇日付けの手紙を送付し、その中で、原告太郎の実効のない手紙を読んで大変失望した、離婚を強く求めている花子にいろいろ要求しているが、そうした要求をする資格があるか疑わしいし、花子は神の召命により伝道師となり、被告真部の指導の下にあり、原告太郎を夫とは思っていないのであるから本人に迷惑になる、もっと大人になって、本当のわきまえを持たなければ、被告教会の秩序を乱すだけであるから集会出席停止処分にする、被告教会の会員として真実生涯を信仰によって全うしようと思うなら、牧師の指導に従ってほしい、子どもたちの心をこの世に引きもどすような、心を動揺するような接し方を慎んでほしい旨記述している。

(七) 原告太郎は、この間、本件訴訟代理人である後藤徳司弁護士に相談したところ、同弁護士からこれは裏切りであると言われ、信仰を持っていない人が客観的に判断するとそのように考えるものかと思い、被告真部の行動に疑問を持ち始めた。平成七年三月五日、被告教会の集会に出席した原告太郎は、被告真部の妻から、原告太郎は被告真部の指導に従わないので、集会出席停止処分にするか、除名処分にするか、しばらく態度を見た後で決める、離婚届に署名押印しないのは、原告太郎の勝手かもしれないが、被告真部に対しては、その理由を明解に示すべきである旨の被告真部のメモを渡され、同年三月二〇日、春子の小学校の卒業式の際、同席した花子に対し、もう被告真部には従えない、そのことを本人に伝えても構わないと述べた。花子からその報告を受けた被告真部は、同年三月二一日、原告太郎を被告教会における懲戒処分の一つである集会出席停止処分とした。

原告太郎は、現在まで離婚届に署名押印していないが、この間に、被告教会には通うことをやめ、同年四月ころから、日本ホーリネス教団横浜教会に通い始め、同年四月一〇日付けの春子宛の手紙の中で、原告太郎が新しい信仰の道を歩み始めた旨、被告教会だけが教会ではなく、その信徒しか天国に入れないわけではない旨を記述した。これに対し、同年四月一三日原告太郎に配達された返信の中で、春子は、元気で生活しており、原告一郎や二郎はいつでも被告教会で会える、原告太郎は被告真部が春子を引き離していると考えているようであるが、事実は異なるから、被告真部や花子の悪口を言ったり、別の教会の牧師に相談するのではなく、神に任せるのが先決である旨記述し、また、夏子は、元気で生活しており、原告一郎や二郎はいつでも被告教会で会えるが、原告太郎の自宅では会いたくない旨記述している。また、そのころ、春子及び夏子は、原告太郎の姿を見ると、身を隠したり走って逃げたりするようになった。同年四月二〇日、原告太郎が、ガンの手術を控えた実母に孫を会わせてやりたいと考え、被告教会に赴いたところ、被告真部から、夏子は会いたくないと言っていると伝えられ、しばらくして奥から出てきた夏子も、原告太郎に会いたくないと述べた。

(八) 平成七年五月ころ、原告太郎から相談を受け事情を聞いたインマヌエル総合伝道団高津教会の藤本満牧師は、離婚届に牧師である被告真部夫婦が証人となり、原告太郎にその返送を求めていることに疑問を抱き、同年六月ころ、花子に対し、第三者が介入することで事態が複雑化してはならないとして、花子や被告真部の姿勢を批判する趣旨の手紙を送付した。しかし、花子は、これに反論を加え、自己の生涯は神のみが決定権を有し、藤本牧師、被告真部及び原告太郎の誰も強制できない旨の同年六月二七日付けの手紙を藤本牧師に送付し、同年七月三一日には、同牧師が被告教会に赴いて被告真部に面会を求めたが、拒否された。花子の両親は、同年四月から同年六月ころまでの間、被告真部に対し、孫たちが二分した状態にある娘の家庭の現状を率直に憂える反面、被告真部の指導に感謝の意を表す手紙を送付したが、その中で、孫たちが仲良く会える時間と場所がほしいとの気持ちを伝えた。これに対し、被告真部は、子供たちをお互いに会わせるのは、花子の下で行うべきである旨の手紙を送付した。

同年一〇月、原告太郎は、花子を相手方として横浜家庭裁判所に夫婦関係調整の調停を申し立てたが、同年一二月、不調停に終った。この間、花子は、原告太郎との夫婦関係を元に戻す意思はなく、このまま信仰の道に生きる決意である旨の書面を、また、春子及び夏子は、怒りぽい性格の父親がいる自宅には戻らず、被告教会での生活を続けたい旨の書面をそれぞれ同裁判所に提出した。さらに、花子らが家を出た後も原告らと共に自宅に残り、被告教会に通い続けていた三男の三郎も、原告太郎はキリスト教をいいように利用しているとしてその信仰を批判する書面を同裁判所に提出しているほか、その後、自己の進路に関する原告太郎からの手紙の返事として同人宛に出した平成一〇年三月二七日付けの手紙の中でも、父親をひきょうな偽善者であると辛らつに批判し、自分は被告教会で神のために働きたいとの抱負を述べている。

(九) 花子は、平成七年一二月ころ、自分と子供たちが一個の人格を有する人間として生きる権利を守るため、神奈川県の人権擁護課に赴いて相談し、また、夏子が通学する小学校の校長及び担任教師に対し、自分も夏子も生半可な気持ちで家を出たのではなく、夏子の保護者は自分であるから、学校の中では夏子に被告太郎を会わせないでほしい旨の書面を提出して要請した。平成八年一月二〇日、原告太郎が学校で夏子を待ち受けて会い、こうして会いに来ることは迷惑ではないかと尋ねると、その場では、夏子は迷惑ではないと応答したが、二週間後に会いに行くと、逃げるようにして原告太郎の前から立ち去った。花子、春子及び夏子は、家を出た後現在に至るまで、自宅を訪れたことはない。

花子は、被告教会から伝導費として月一〇万円ないし一二万円くらい支給を受けて前記アパートに居住し、住居、生活費も右支給金で賄い、食事はほとんど被告教会で取っているが、買い物などは真部牧師夫婦又は若い教会員が行っている。春子及び夏子は、被告教会で寝起きし、ほとんど遅刻、欠席をすることなく学校に通い、友達とも遊ぶなど普通の生活をしており、その学費は被告教会が支出している。

2  右認定事実に基づき、被告真部が、被告教会の代表者としての職務を行うにつき、原告らの意思を全く顧みず、信教の自由の範囲内の行為を逸脱して、いわゆるマィンドコントロールにより花子の自律的判断を失わせ、その家出に積極的に関与し、原告太郎に離婚を強要し、原告らと花子、春子及び夏子との面接交通を妨げ、家庭を破壊するなど、原告ら主張の違法な家庭破壊行為等をしたといえるかどうかについて判断する。

(一) 花子は、前示のとおり、原告太郎と別居するまで一八年余の婚姻共同生活を送り、この間に五人の子をもうけ、一家七人が原告太郎の肩書住所地の自宅で生活を共にしていたが、平成七年一月二〇日、花子が、被告教会の伝道師となるため、原告太郎と当時はいずれも未成年の長男原告一郎(一八歳)、二男二郎(一六歳)及び三男三郎(一三歳)を家に残したまま、同じく未成年の長女春子(一二歳)及び二女夏子(七歳)を連れて家を出て、被告教会から約一〇〇メートル離れたところにある二部屋の簡素なアパートを借りて別居し、教会活動に専念しており、春子及び夏子は、被告教会で寝起きして現在に至っている。未成年の子供の成長にとって母親の存在は掛け替えのないものであり、父母は、どのような環境で子供の監護教育を行うのが本人にとって最も幸福であるのかを話し合い、その実現に協力して努力すべきことは当然である。特に、大学受験を目前に控え精神的にも不安定な時期に、母親から信仰のために家を出ると一方的に通告された原告一郎の気持ちは、察するに余りある。このように、花子は、息子ら三人に対する親権者としての監護教育義務を一方的に放棄し、娘ら二人についても、少なくとも現状においては、一方の親権者である原告太郎の意思に反して被告教会で生活させているものであり、自己の信仰や夫との不和に基づくものであるとしても、妻ないし母親として身勝手に過ぎると非難されてもやむを得ないところである。

(二) 一方、被告教会は、集会の出席者約一八名、受洗して正式に教会に入会し教会活動を行っている第一種正会員一五名の比較的小規模の教会であり、その創立者で、かつ代表役員でもある被告真部が、被告教会の内部的な事項を決定する責任役員会及び教会総会を実質的に取り仕切るなど、その強いリーダーシップの下に運営し、会員等に対しても、集会や教会誌において聖書の言葉とその解釈を語ることなどを通じ、強い影響力を有していることは前示のとおりであって、そのことは被告真部も十分認識していたものと考えられる。また、花子が家を出るに当たっては、そのことを夫に告知する前に、被告真部が、今後の花子の生活場所となるアパートの下見に同行し、その賃貸借契約に関する連帯保証人になり、夫婦の離婚問題に関しても、花子の署名押印のある離婚届に被告真部夫婦が証人として署名押印した上、原告太郎に対し、再三にわたり、その署名押印と返送を求め、自己の指導に応じない場合には、被告教会の懲戒処分もあり得ることを通告している。花子は、家を出てからは、食事をほとんど被告教会で取り、伝導費の支給を得て住居、生活費に充て、春子及び夏子の学費も被告教会が支出しており、被告真部ないし被告教会によるこうした物的、精神的な援助がなければ、花子が家を出てからの生活は事実上困難であったものと認められる。このように、被告真部は、花子が春子及び夏子を連れて家を出て生活することについて、かなりの程度関与していたことは否定し難いところであり、原告太郎に対し、花子との離婚に応ずるよう要求していたことも事実である。

この点について、被告真部は、花子から伝道者になりたいとの申出を受けた際、花子に対し、信仰は変わるかもしれないし、伝道者は二四時間勤務のようなもので家庭に問題や困難が生ずるかもしれないから、思いとどまるよう忠告した、原告太郎が主張する平成七年二月二〇日付けの手紙は、専ら花子の強い意思に基づくものであり、同人の依頼により被告真部が作成したものである旨主張し、証人甲野花子の証言及び被告教会代表者兼被告本人真部明尋問の結果中には、右主張に沿う供述があるが、被告真部は、花子が家を出たいという相談を受けた時期には、花子が召命を受けたことを十分承知していたはずであり、被告教会内における被告真部の影響力等に関する前記認定及び判断並びに弁論の全趣旨に照らせば、右供述はたやすく信用できない。

(三) さらに、花子、春子及び夏子は、家を出た後現在に至るまで、自宅を訪れたことがないところ、被告真部は、子供たちをお互いに会わせるのは、花子の下で行わせるべきである旨の手紙を花子の両親に送付している。春子及び夏子は、原告太郎の姿を見ると身を隠したり走って逃げ、原告太郎が実母に孫を会わせてやりたいと考えて被告教会に赴いた際、被告真部から夏子は会いたくないと言っていると伝えられ、しばらくして奥から出てきた夏子は、原告太郎に会いたくないと述べ、原告太郎が学校で夏子を待ち受けて会った際、こうして会いに来ることは迷惑ではないかと尋ねると、その場では、夏子は迷惑ではないと応答しながら、二週間後に会いに行くと、逃げるようにして原告太郎の前から立ち去ったりしているが、これらの春子及び夏子の行動は、その年齢等も併せ考えると、全く本人の意思のみに基づくものか疑いを容れる余地がある。被告真部は、日々の教会活動の中で、花子に対し、教師、リーダーが必要であると常に述べ、自ら執筆した月刊小冊子「聖書の探求」の中でも、その趣旨を述べているほか、日ごろからほかの会員とは別格に扱っている夏子を念頭に置いて同人を称賛する記述もしている。こうした事実からすれば、被告真部が、原告ら主張のように、被告教会における自己の影響力を用い、あるいは母親の花子を通じて是非弁別の十分でない春子及び夏子に対し、心の内面に働きかけて、原告らと会わないように仕向け、日常生活のすべての行動を抑圧し、自己の意見に従って行動するように完全にコントロールしているのではないかとの疑念も一概に払拭することはできない。

3  しかしながら、

(一) 前記認定事実によると、花子は、家を出る前に約一五年間にわたり被告教会に通い、受洗してからも約一〇年を経過しているが、被告教会に通うようになった動機は、夫の実家との関係や原告太郎の怒りぽくわがままな性格等などから、思い悩んで酒に逃避する生活からの脱却を求めてのことと考えられ、受洗する少し前には、原告太郎の不貞行為に気が付きながら、そのまま胸に秘めていたことからすると、そのことが受洗の一つの契機になったのではないかと推認される。その後、花子は、保母の資格を取り、教会活動をしていたが、平成四、五年にかけて、原告太郎も同席した被告教会の集会における自己の発言とその後の原告太郎の言動から夫の不貞行為を確認し、被告教会に通うことをやめ生活が荒れていた二男の監護、教育方法について原告太郎が親身に相談に乗ってくれないなどのことがあって、次第に、夫との婚姻生活の継続に疑問を抱いて離婚を考えるようになり、信仰する神の方を大事にするという考え方に傾倒して行き、平成六年三月には、伝道師となるよう神の召命を受けたと感じこれに従う決意をしている。また、原告太郎は、花子より一年後に受洗し、花子が神の方を大事にするという考え方に傾斜して教会活動に傾倒した後も、これに反対することなく支援し、その後、被告教会の集会において自己の信仰が口先だけでなく心も生活も神を第一にするようにしたいとの抱負を語り、自分も伝道師になる意思があるとまで被告真部に述べていた。それにもかかわらず、亡父の葬儀の際、原告太郎やその母が前記のような行動をとったことから、花子は、結局、夫の信仰が口先だけで表面的なものにすぎないと感じ取り、離婚の決心をするとともに、被告教会において牧師となるため被告真部の指導を受けたいという気持ちから、自らの意思で、家を出たものといわざるを得ない。原告太郎は、被告真部が、花子に対し、伝道師になるようそそのかしたり、花子を自己の後継者にしようと企てた旨主張するが、これを認めるに足りる的確な証拠はない。

(二) 花子は、右のとおり、家を出る数年前から既に離婚を考えており、神の召命を経た後、亡義父の葬儀を契機に確定的に離婚意思を固めたものというべきである。家を出る当日、花子は、原告太郎に対し、自らの署名押印と被告真部夫婦の証人としての署名押印のある離婚届を送付して、これに対する署名押印と返送を求め、平成七年二月には、再度、離婚届の返送を促すとともに、原告太郎との結婚は、もうとっくの昔に壊れていたので、原告太郎が今後どのような信仰に立とうとも、やり直すことは決してない旨の手紙を送付している。これに対しては、原告太郎自身も、花子は召命をを受けたのであるから、元の結婚生活ができるとは考えていない旨の手紙を花子及び被告真部に対して送付しているのである。花子は、また、その後、原告太郎から相談を受け事情を聞いた別の教会の牧師にも同旨の手紙を送付しているほか、原告太郎が申し立てた夫婦関係調整の調停事件においても、原告太郎との夫婦関係を元に戻す意思はなく、このまま信仰の道に生きる決意である旨の書面を裁判所に提出し、乙一及び証人尋問においても、同旨の記載及び証言をしている。このような事実からすれば、花子は、家を出る前から、主として夫婦間の問題に起因して離婚意思を形成し、これを一貫して持ち続けているものであって、被告真部の助力を得ながらではあるが、自らの意思で、原告太郎に対して離婚を求め、家を出たものと認めるのが相当であり、その後、夫に会おうとしないことも、本人の意思に基づくものというほかはなく、原告ら主張のように、被告真部がいわゆるマインドコントロールにより花子の自律的判断を失わせた結果によるものとまで認めることは困難である。そうすると、被告真部が、前示のとおり、花子が春子及び夏子と共に家を出て生活することについて、かなりの程度関与し、また、原告太郎に対し花子との離婚に応ずるよう要求していたとしても、法及び社会通念に照らし、原告太郎の婚姻関係に基づく権利を違法に侵害したものとまでいうことはできない。

(三) また、原告一郎は、花子が家を出た平成七年一月当時、未成年で大学受験を目前に控え精神的にも不安定な時期であったこと、花子は、原告一郎に対する親権者としての監護教育義務を一方的に放棄したもので、母親として身勝手に過ぎると非難されてもやむを得ないことは前示のとおりである。この点について、原告一郎は、被告真部が、花子の家出に積極的に関与することにより、原告一郎に対する花子の身上の監護を不当になおざりにすることも積極的に関与し、原告一郎の花子に対する親子関係に基づく扶養、監護教育等の請求権及び幸福な家庭生活を送る人格的権利を侵害した旨主張するが、前示のとおり、被告真部が、花子の家出にかなりの程度関与したものということができるとしても、それを超えて、花子が原告一郎に対する親権者としての義務を放棄することに被告真部が積極的に関与し、法及び社会通念に照らし、被告真部の右行為が原告一郎との関係で違法であるとまでいうことはできない。

(四) さらに、前記認定事実からすれば、春子及び夏子は、未成年ではあるが、母親が家を出る際、同人から教会に一緒に行く意思があるかどうか一人一人の意思を確認され、両名とも母親について行く意思を明らかにし、親権者の一人である花子と共に家を出たのであり、その意思に反して家を連れ出されたものではない。両名とも、現在、被告教会に寝起きし、ほとんど遅刻、欠席をすることなく学校に通い、友達とも遊ぶなど普通の生活をしており、家に戻り又は被告真部が同席しないところで原告らと面会する意思があれば、その実現の機会がないとまで認めることはできない。花子らが家を出た後、原告太郎は別の教会に通い始めたが、その事実を知らせる手紙の返信の中で、春子は、元気で生活しており、原告一郎や二郎はいつでも被告教会で会える、原告太郎は被告真部が春子を引き離していると考えているようであるが、事実は異なるから、被告真部や花子の悪口を言ったり、別の教会の牧師に相談するのではなく、神に任せるのが先決である旨記述し、また、夏子は、元気で生活しており、原告一郎や二郎はいつでも被告教会で会えるが、原告太郎の自宅では会いたくない旨記述している。このように、春子及び夏子は、被告教会で生活していることについて疑問を抱いているような様子は全くなく、特に、春子は、現在一六歳に達しているが、被告教会での生活をやめて家に戻ってくる様子はない。

(五) 原告らは、被告真部が、春子及び夏子を一方的に被告教会の献身者として扱い、被告教会のために全生活を犠牲にして献身的生活を送ることを強いており、被告真部の許可がなければ、原告らと絶対に会ってはならないと厳命している旨主張し、夏子については、被告真部が、日ごろからほかの会員とは別格に扱い、日曜日の礼拝後の食事においても、神様の御用をする者として原告らとは席を別にし、被告真部夫婦と一緒に食事をさせ、また、前記「聖書の探求」中でも、夏子を賞賛し、自己の後継者に擬するかのような記述をしていたことは前示のとおりである。原告らの右主張と家を出た当時の春子及び夏子の年齢等にかんがみると、春子及び夏子が家を出て現在のような生活に入り、原告らとの面会について前記のような態度を示していることについては、被告真部が、牧師かつ被告教会の代表者としての強い影響力をもって、あるいは花子を通じ、父親である原告太郎に対する嫌悪と畏怖の念を抱かざるを得ないように教え込んだ結果、右のような意思が形成されたなどの特段の事情の存在も考えてみなければならない。しかし、三男の三郎は、花子らが家を出た後も原告太郎及び原告一郎と共に自宅に残り、被告教会に通い続けていたところ、三郎は、原告太郎が花子を相手方として申し立てた調停事件において、原告太郎はキリスト教をいいように利用しているとしてその信仰を批判する書面を裁判所に提出しているほか、その後、自己の進路に関する原告太郎からの手紙の返事として同人宛に出した平成一〇年三月二七日付けの手紙の中でも、父親をひきょうな偽善者であると辛らつに批判し、自分は被告教会で神のために働きたいとの抱負を述べていることは前示のとおりである。右事実のほか、本件において書証として提出されている春子及び夏子の陳述書の記載様式、内容等にかんがみると、右のような特段の事情の存在をうかがうことはできず、両名が親権者の一人である花子の監護下にあり、花子が自らの意思によってそれを行っているものである以上、原告らの前記主張事実を認めるに足りない。そうすると、被告真部が春子及び夏子に対して原告らに会わないように述べるなどの働き掛けを事実上行っているとしても、家族の構成員相互の自由な面接交通が不法行為法上の被侵害利益に当たるかどうかはさておき、法及び社会通念に照らし、被告真部の右行為が違法であるとまで断定することは困難というべきである。

(六)  以上の検討によれば、花子が家を出て息子ら三人に対する親権者としての監護教育義務を一方的に放棄し、娘ら二人を被告教会で生活させていることにつき、花子において妻ないし母親として非難されるべき点があり、花子が原告らの面接交通を妨げている事実があるからといって、そのことから直ちに、被告らが、原告ら主張のような違法な家庭破壊行為等をしたものということはできず、他に、これを認めるに足りる的確な証拠はないから、原告らの被告らに対する不法行為に基づく損害賠償請求は理由がない。

また、原告太郎と被告教会との間に原告太郎主張のような入信契約が存在したとしても、右の認定及び判断によれば、右契約上の債務不履行があったということもできない。

さらに、原告らは、被告真部に対する損害賠償の請求原因として、予備的に、花子との共同不法行為も主張しているが、前示のとおり被告真部について不法行為が成立しない以上、これとの共同不法行為も成立する余地がなく、右主張も採用することができない。

4  そうすると、被告らによる違法な家庭破壊行為等を請求原因とする原告らの被告らに対する損害賠償請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がない。

二  争点2(被告真部による原告太郎のざんげの内容の漏えいの存否)について

1 原告太郎は、前示のとおり、昭和五七、五八年ころ、妻である花子に隠れて不貞行為をしたことがあるが、昭和五九年ころから被告教会に通うようになり、昭和六〇年夏ころ、牧師としての信頼を置くようになっていた被告真部に対し、妻に対して不信実な罪を犯したが、洗礼を受ける前に妻に告白する必要があるかと相談したところ、その必要はないとの説明を受け、同年一二月、自らも被告教会で洗礼を受けている。キリスト教徒が、牧師に対し、自己の罪を告白するのは、その事実が牧師によって第三者に開示されないという信頼によるものであるが、告白する者は、第三者が当該告白の内容である事実を知っているか否かを問わず、牧師はこれを開示しないと考えているのであり、右のような信頼は法的保護に値するから、牧師としては、当該第三者が告白の内容を知っていたと否とにかかわらず、一切告白の内容を他に漏えいすべきではないとの職務上の義務を負っているものというべきである。

2  本件において、花子は、家を出る九日前に、原告太郎に対し、神の召命を受けたので伝道師になるために家を出ることを告げ、その後、原告太郎と毎日のように話し合い、その話合いの中で、原告太郎は、被告教会の規則では姦淫以外の理由で離婚することは認められていないから離婚はできないと述べたこと、これに対し、花子は、被告真部が原告太郎と花子夫婦の離婚は、被告教会の教義及び条例の第三四条(離婚に関する規定)にあてはまるので、離婚は認められると言っていると説明したが、原告太郎のかつての不貞行為には言及しなかったことは前示のとおりである。しかし、花子は、夫と肉体交渉を持つ際、原告太郎から花子がやはり一番良いなどと言われ、体位が急に変化したことなどから、夫の不貞行為に気が付いたが、そのまま自分の胸に秘め、昭和五九年一二月に被告教会で洗礼を受けたこと、平成四年春ころ、花子は、原告太郎も同席した被告教会の集会において、被告真部に対し、姦淫の場合は離婚してもいいのかとの質問をしたが、その数日後、原告太郎が花子に対し質問の趣旨を探るような言動を示したことなどから夫の不貞行為を確信したこともまた、前示のとおりである。

ところで、花子が家を出た平成七年一月二〇日、花子が原告太郎に宛てた同日付けの手紙(甲一の1)が在中していた封筒(甲一の2)には、離婚届のほか、被告真部の原告太郎に対する同年一月二三日付けの手紙(甲二の1)も同封されていたが、被告真部は、その中で、花子から離婚の申出を受けたが、原告太郎は、被告教会の教義及び条例によって離婚が禁じられており、離婚をすると被告教会に在籍できなくなるので、離婚はできないとして反対していると花子から聞いた旨、しかし、離婚に関する教義及び条例第三四条は、昭和六二年六月五日に改定されており、原告太郎の場合は、過去に他の女性と関係を持ったことを自分が聞いており、これは神によって赦されることのできる罪であっても、妻から離婚の申出があった場合には、その責任を取らねばならず、花子の申出により離婚を認める旨記述していることは、前記認定のとおりである。

この点に関して、花子は、その証人尋問において、被告真部の右手紙(甲二の1)の中身を確認した上で甲一の2の封筒に同封して投函したと証言する一方で、陳述書(乙五八)中においては、投函する前に確認したのは、右の手紙ではなく被告真部の原告太郎宛ての手紙(甲五の1)であり、右証言は錯誤に出たものであると訂正している。本件において、花子の名義で提出されている他の陳述書と被告真部の名義で提出されている陳述書の内容を比較検討すると、花子名義の陳述書が被告真部の影響なしに作成されたか疑わしいものも見受けられるが、被告教会代表者兼被告本人真部明は、甲二の1の手紙は、その内容から花子には見せられないので、それを意識し、自分で封筒(甲二の2)に入れて閉じ、封かんをして花子に渡した旨供述しているところ、証拠(甲一の2、二の2)によれば、甲二2の封筒には宛先等の記載もなく、甲一の2の封筒は、甲二の2の封筒より一回り大きいことに照らすと、右供述は客観的証拠と矛盾するところはなく、花子の前記陳述書の記載に沿うものである。また、被告真部の原告太郎宛ての甲五の1の手紙には、女性関係の償いを明確にすべきである旨の記載があるが、甲二の1の手紙とは異なり、被告真部が原告太郎からこの事実を聞いたとの記載までは見られない。したがって、証人甲野花子の前記証言は、錯誤に出たものと見るのが相当であり、花子が被告真部の手紙(甲二の1)の内容を見たことまでを認めるに足りない。

3 そうすると、原告太郎主張のように、被告真部が、花子を伝道師とするために、かつて原告太郎から告白を受けた同人の不貞行為を利用しようと企て、これを花子に漏えいし、花子から原告太郎にその話をさせたとの点については、的確な証拠を欠くというほかはなく、この点を請求原因とする原告太郎の被告らに対する損害賠償請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がない。

三  争点3(面接交通、親権の行使、同居に対する妨害の存否)について

1  花子は、未成年の長女春子及び二女夏子を連れて家を出た後、被告教会の近くにあるアパートを借りて別居し、食事はほとんど被告教会で取り、伝導費の支給を得て住居、生活費に充て、買い物などは真部夫婦又は若い教会員が行い、自らは教会活動に専念していること、春子及び夏子は、被告教会で寝起きし、学校に通っており、その学費は被告教会が支出していること、花子、春子及び夏子は、家を出た後現在に至るまで、自宅を訪れたことがなく、被告真部は、子供たちをお互いに会わせるのは、花子の下で行わせるべきである旨の手紙を花子の両親に送付しており、春子及び夏子は、原告太郎の姿を見ると身を隠したり走って逃げるような態度を示し、原告らが、実際上、花子、春子及び夏子と自由に会える状況ではないことは前示のとおりである。

2  しかしながら、春子及び夏子は、前示のとおり、被告教会で生活していることについて疑問を抱いているとか、被告教会での生活をやめて家に戻ってくるような様子は全くなく、家に戻り又は被告真部が同席しないところで原告らと面会する意思があれば、その機会がないとまではいえないし、両名とも、原告らに対し、いつでも被告教会で会う意向を示しているのであって、被告真部において原告らと春子及び夏子との面接交通を妨げているものということはできないことも、既に判示したところである。また、花子は、被告教会において牧師となるため被告真部の指導を受けたいとの気持ちから、自らの意思で、家を出たものであり、被告真部が、原告らの意思を全く顧みず、信教の自由の範囲内の行為を逸脱して、いわゆるマインドコントロールにより花子の自律的判断を失わせ、その家出に積極的に関与したものといえないことも前示のとおりであるから、被告らが原告太郎と花子との面接交通及び同居を妨げているということもできない。

3  そうすると、被告らに対し、原告太郎と花子、春子及び夏子との面接交通、原告太郎の春子及び夏子に対する親権の行使、原告太郎と花子との同居の各妨害の禁止を求める原告太郎の請求と、原告一郎と花子、春子及び夏子との面接交通の妨害の禁止を求める原告一郎の請求は、いずれも理由がない。

第五  結論

以上の次第であるから、原告らの請求はいずれも理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法六一条、六五条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官篠原勝美 裁判官板垣千里 裁判官弘中聡浩)

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